・はじめに
定年後に居場所のない老人たちが、朝から図書館の新聞コーナーに群がり、新聞の奪い合いをしている。。。
こんな記事をみるたびちょっと悲しくなります。本当に定年後の居場所はないのでしょうか?定年後は居場所を無くした老人ばかりだったら悲しいのですが。。。
今回は定年後の居場所について考えてみました。
定年後の居場所問題
・居場所とは何か?
定年後の居場所とは物理的な場所だけでなく、ともに過ごせる仲間、グループという所属の意味での居場所という、2つの側面があると思っています。
ここを議論するときにごっちゃになっている場合があります。
従来は場所と所属は同時に達成されていたのですが、最近は物理的場所はあるが所属がない、逆に物理的場所はないが所属はしている、ということも発生しています。
例えば、会社勤めをしていれば、物理的な居場所と所属の居場所が同時に与えられる。その意味で「会社」というのは非常にありがたい存在であった。
しかし、コロナに端を発するリモートワークでは、会社に所属するが、会社の場所では作業せず自宅や喫茶店で作業することが可能になりました。
これからは、場所と所属は別ということが普通になるかもしれません。
・重要なのは所属としての居場所?
物理的な居場所が無いのも困りますが、重要なのは「所属の意味での居場所」ではないでしょうか。
別に図書館であろうが、スーパーのベンチ、喫茶店、そして自宅でも、いわゆる「孤独な老人」でなく、どこかに所属して他の人から必要にされることが実感できれば、心は満たされるはずです。
定年後、会社という所属を失って、その後どのように自分の所属先を作るかが問題です。
最近は、リアルの所属でなくバーチャルの所属、ゆるい繋がりなんかもありますし、いろいろな選択肢があるというではないでしょうか。
・所属なんかしなくてもOK?
でも、どこかに所属することは本当に必要なのでしょうか?
ちまたでは、地域社会とのつながりを持ちなさい!などといってますが、大きな世話だと思ってます。
自分のやりたいことをやって、自己満足していればそれはそれでOKでは?
所属を欲するというのは、他者からの評価を得たい、承認欲求を満たしたいということに他ならないでしょう。
女性であれば、仲間から共感を得たいということがあるでしょうが、男にとってはどうなんでしょうか。
ありのままの自分を受け入れることが必要とアドラーも言ってます。今更新しい所属先を見つけなくても、いま自分が満足できているのであれば良いのではないでしょうか?
なぜ居場所を求めるのかという、根本的な問題になりますね。
※ご参考の本:アドラー 嫌われる勇気
物理的な居場所は自宅?それとも外か?
物理的な居場所を確保することも重要です。
所属としての居場所があったとしても、所属の組織が必ずしも物理的な居場所を確保しているとは限りません
週一で公共の会議室を取るとか、喫茶店やファミレスであったり、皆で出かける先(例えば、山やマラソン大会、など)だったりすることもあるでしょう。
そうすると自分の独自の居場所が欲しいですね。
自宅を居場所にする
自宅を自分の居場所にするのが基本かもしれません。
そういう意味では、「自分の城」を持つことが重要でしょう。
独立した部屋であれるに越したことはないですが、なければカーテンででも区切って、誰にも邪魔されないようにすることが大切でしょう。
自分の部屋を確保することで、引きこもりでも、自宅で仕事・副業をする場合でも、ボランティアの準備をする場合でも、何にでも対応することができます。
※こちらの記事も参考にしてください。
自宅外に居場所を作る
自宅外に居場所を作ることは重要だと思います。
自宅だけだと体も動かさないし、気分も変わらずテンションも上がりにくいものです。
・図書館やショッピングセンター
すぐに思いつくのは、図書館やショッピングセンターの休憩所など。ただ、そこは本来作業する場所ではないので、できれば避けたいですね。
・喫茶店やファストフード店、ファミレス
おススメは、喫茶店やファストフード店、ファミレスなど。近所にいくつか目星をつけて、気分によって使い分けるなど良いかも知れません。
各店に名前を付けて、今日は短時間なので会議室A、明日はゆったりできる会議室E、などと使い分ければ楽しいかも。
・スポーツジム
つぎにおススメは、スポーツジム。
ちょっとお安めの平日会員になれば、朝から夕方まで使い放題、最後にお風呂に入れば家でお風呂に入る手間も省けるというもの。ジムの良いところは、ジム仲間ができやすいこと。最低限インストラクターとは仲良くなれるので、しっかりお金を落とせば、ちゃんと居場所が確保できます。
・コワーキングスペース
究極は、コワーキングスペースを借りることかもしれません。多少は高くつきますが、作業をするというテンションは確実に上がります。
実は私は毎日「コワーキングスペース」で作業まがいのことをしています。スタッフの人や知らない人とも話しますし、一つのコミュニティとして機能しています。
所属としての居場所
所属としての居場所はどのように確保すればよいのでしょうか。
地域社会
「地域社会に積極的に溶け込め!」なんてことを盛んに煽る記事をよく見ます。
そうしたい人はそうすれば良いと思います。しかし、参加したくなければ、そうする必要は全くないと思います。
なぜこのように話を煽るのか私には理解できません。
その土地で育ったというのなら別ですが、縁もゆかりもない土地に住み、会社員時代の何十年も関りがなかったのに、定年後になっておめおめ入れてください、というのも何だかなあ、と思いませんか?
既に地域は地元の人達で固められています。完全なアウェー状態。覚悟があれば別ですけど。
別に否定しているわけではありません。うまく溶け込めれば凄いと思います。私はそこまでして入りたいとは思わないだけです。他にやりたいことはたくさんありますし。
会社員時代からの延長
会社員時代から社外活動を行って来ていて、その延長で活動を続ける、ということもあるでしょう。
例えば、学会活動、職業別の専門団体など。もともと個人で参加していれば継続に問題ありませんし、会社命令でも個人参加に変更すれば大丈夫です。
ただ、引退後は現役の人たちと意識のギャップがどうしても出てきますので、そのへんをうまく対応していけば良いかもしれません。
ボランティア、サークル活動
新しくボランティア、サークル活動に参加するのも楽しいかも知れません。知り合いでも引退後に趣味のサークルに入って今では中心メンバーで活動している人もいます。
シニアとはいえ、最初は新人なので馴染むまで大変かもしれませんが、そこは時間はたっぷりあるので、いろいろな作業を買って出れば、存在感を増すこと請け合いです。
ただ、あまり「俺が俺が」で出しゃばらないことが、早く馴染む秘訣かも知れませんね。
仕事(副業)
これは全然あり。可能性も高いでしょう。
仕事(副業)という共通性がありますので、取引関係もありますし、仕事の能力を高めるための、同業としての繋がりもできますので。
収入も得られて、居場所も確保できる、最高じゃないですか。
ネット
定年後は友人たちとネットで繋がれればそれで十分という考えもあります。
いままでの友人だけでなく、SNSで発信することで新たな人たちとゆるく繋がることが可能です。
ほかに、無料・有料のサロンに入るという手もあります。特定の興味があることに対してのサロンは、繋がりを得る上で簡単かも知れません。
ただし、詐欺まがいのサロンがネット上で横行していますので、十分気を付けたいですね。
究極の居場所とは?
シニアの居場所問題については、マスコミや特定の団体の意見に惑わされ過ぎだと感じています。
別に定年後なんか、人に指図されたくない、というのが多くの人の本音ではないでしょうか?
もちろん、図書館などで傍若無人に振舞う老人は困りますが、他人に迷惑をかけない、目障りにならなければ、勝手にさせてよ、という感じです。
別に居場所なんかどうでも良くて、好きなことをすれば良いと思ってます。他人がとやかく言う筋合いはありませんし、言われたからといってそれに従うべきでもいわれもありません。
私は、究極の居場所とは。
・引きこもり
・外こもり
だと思っています。
考え方としたら「仙人」っぽくなるのでしょうか?
別に社会と関わりを持たなくても生きていけますし、構わないで下さい、という感じでしょうか。
いろいろな考え方があると思いますので、人それぞれで考えていけば良いことだと思います。
まとめ
さて皆さん、いかがでしたか?
「定年後の居場所をどう確保するか?」を考えてみました。これから日々の生活を送る上での参考になったでしょうか。
十人十色でいろいろな考え方があるのは当然です。
第一線を離れ、自由な時間をどう生きるかを選択する自由がやっと得られたわけです。
せっかくですから、この自由を満喫したいものです。
結局、居場所なんてどうでも良くて、好きなことをしていけばよいのでは?と思っています。
何をしたいか分からない、ということであれば、したいことを探す、興味あることを手あたり次第試してみる、ことから始めたらいかがでしょう。
いずれにしろ、能動的に取り組んでいけば、居場所なんていつの間にかできていた、ということになるのではないでしょうか。。
では、明るく、楽しく、前向きに、毎日をお過ごしください。
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