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・定年後、自分は「ひとりぼっち」ではないかと気になっている人
最近、定年後の老人の孤独問題がメディア上で頻繁に取り上げられます。平日午前の図書館やカフェにたむろする男性老人、そしてその究極の例が、「孤独死」。
でも、そんなにひとりぼっちがいけないことなのでしょうか?別に人様に迷惑を掛けなければ「ひとりぼっち」で何が問題なのでしょう?
メディアに煽られてつまらない心配をするのは辞めましょう。
定年後はみんな「ひとりぼっち」だ!
定年過ぎればみんな「ひとりぼっち」
「一人ぼっち」で過ごす定年退職者の哀愁、午前中の図書館、カフェ、ジム…」、
週刊ダイヤモンドの記事のタイトルですが、定年後の「孤独」や「ひとりぼっち」をさも”悲しいこと”とここぞとばかり煽っています。
行くところのない男性老人たちが平日の朝から図書館に詰めかけて新聞の取り合いをしているとか、ショッピング・モールで空いているソファーでここぞとばかりくつろいでいるとか。。。
いわゆる「定年本」といわれる本では、いかに「ひとりぼっち」が寂しくて、見た目も悪く、健康を害して社会に悪影響を与えているかの如く批判しているものを多く見かけます。
はて、「ひとりぼっち」ってそんなにまずいこと?と思わず自問してしまします。真面目な人なんか思い悩んでしまいますよね。
はっきり言って、マスコミや定年本を出している人たちが煽りすぎ。この人たちの罪は大きいと思います。
何十年もの過酷なサラリーマン生活を生き抜いてきた、企業戦士(古いか?)にまったく寄り添っていないといえるでしょう。
結局、みんなひとりぼっちなので大丈夫なのです。
・金のあるやつは金がな無くなれば”ぼっち”
・会社でエライ人も会社辞めれば”ぼっち”
・長生きしたら誰もいなくなってで”ぼっち”
誰もがいつかは「ぼっち」生活は来るのです。
ここはしっかり開き直っていきましょう。
定年後までくよくよ悩むことなんてありません。
定年後も仕事をすれば良いというのは無責任な議論
「定年後に家にいてもすることがないんだから、社会との繋がりを保つためにもできるだけ仕事をするべきだ!」という定年本などの議論があります。
これは一見なるほど、と思うような意見ですが、でも、その仕事を辞めた後はどうするの?
死ぬまで仕事するのは無理でしょ?
(その前にそんなに仕事がしたいか?と言う問題がある)
結局、まともに考えてないんでしょうね、この人たち。
まあ、煽る人たちはみんな無責任なのです。
昔の友人は、昔のままではない
定年後は昔の友人(例えば高校、大学など)との繋がりを復活させれば良い、という議論も良く聞く話です。
実際、ある程度の付き合いの復活というものは考えても良いと思います。
でもそれは、若い時の付き合いとは全く別の、もっと浅く淡泊な付き合いになることが多いものです。
実際に同窓会などに参加して感じると思いますが、同窓会もそれほど面白くはないものです。昔のような無邪気な付き合いはさすがに無理。
また、高校・大学の時の友人も昔のままではありません。それぞれ、40年近く生き抜いた独特の”澱”のようなものが体に淀んでいて、昔のようにあっけらかんとはいかないものです。
ある意味、同時代を生き抜いた会社の同僚とそのまま付き合えたらラッキーでしょう。バックグラウンドが同じなので、非常に話は合いやすいというところがあります。
しかし決定的な問題として、それらの友人や知り合いと毎日会うわけにはいきません。
結局、ほとんどの時間は「ぼっち」というのが現実なのです。
家族にはそれぞれの過ごし方がある
定年後、最も身近になるのは家族です。
もちろん、ずっと付き合ってくれて、最後見取ってくれるのも家族しかいません。
そういう意味で、定年後において家族はありがたいものです。
でも、ここで考えなくてはいけないのは、妻も子供もそれぞれの世界がある、ということです。
わざわざ頑固ジジイに毎日付き合ってくれるほど暇ではありません。
たぶん、定年後にいちばん孤独を感じるのは、あまり家族にかまってもらえないことかもしれません。
でも、いままで仕事一筋で、妻や子供にかまってなかったのは自分自身であり、まあ自業自得ということでしょうか。
ここは諦めるしかありませんね。
みんなはどうしているのか?5つのタイプを分析(除く、仕事)
それでは実際、仕事を辞めた定年後を皆さんどうしているのでしょうか?
たぶん、100%こういうタイプ、というのではなく、いろいろな要素を組み合わせて、定年後ライフを過ごしているのではないでしょうか。
もちろん「仕事」や「アルバイト」をしていれば、それらが生活の中心になります。
ある意味、やる仕事があるうちは平和なのかもしれません。
でも、いつかは「仕事がなくなる」ときが来て、そのとき「ひとりぼっち」を必ず味わうことになるのです。
やることもなく、「ぼっち」で悶々と過ごす
定年本で真っ先に紹介される、「典型的なぼっち老人」の過ごし方です。
・図書館で日がな過ごす
・カフェで朝から新聞や小説を読む
・ショッピングセンターをうろうろする
・黙々とジム通いをする(老人の仲間に入らない)
・あまり友達と会うこともはない
まあ、確かにこのような方もそれなりにいるとは思いますけど。別に世間様に迷惑を掛けなければよろしいのではないでしょうか。
この中でジム通いなら、多少は人と話すことも多くなるし結構まともだと思いますけど。
また、毎日図書館ではなく、ローテーションでカフェ1,2、3、やショッピングセンターを回れば結構気分転換にもなるのではないでしょうか。
別に定年本で揶揄されるようなことではないと思いますけど。
家のリビングに居座り、妻べったり
日なが家のリビングに居座り、TVざんまい。
奥さんに朝、昼、晩の食事を用意させて、奥さんがでかけようとすると、「どこへ行くんだ!」と問い詰めるタイプでしょうか。
いわゆる家庭内管理職と定年本で言われるタイプ。奥さんの夫源病を引き起こすタイプとでもいいましょうか。
さすがにこれはまずいかもしれませんね。
ご自分が何をするかは自由ですが、奥さんを巻き込んではいけませんね。
できれば、定年前と同じレベルで奥さんと接するようにすれば、特に問題は起こらないのではないかと思います。
詳しくは以下の記事をご覧ください。
やることがあるフリをする(自室での引きこもり?)
このタイプが一番多いのではないでしょうか?
自室で過ごすことが多く、多少の引きこもりタイプですが、適度に外出もします。
自室で特に何をするわけではないが、テレビ、ネット動画、音楽、読書とやれることはたくさんあります。
たまには気分転換に近くカフェに行くこともありますし、図書館でも本を借ります。でも図書館やカフェに居座るタイプではないです。
また、昔の友人や知り合いともたまに会って飲んだりします。
実質的には「ぼっち」ですが、SNSではゆるく繋がっている人もいるし、特に「ぼっち」で悩んではいないタイプでしょう。
流行に乗って副業をやったりするが、たいてい失敗するのがこのタイプかもしれませんね(気をつけましょう)。
自分の趣味や対外活動に没頭する
自分の趣味や対外活動にに没頭して、忙しく活動する人もいるのは事実です。
定年本などで、定年後はこうすべき!と推奨される典型的な活動ですね。
男性より専業主婦の女性に多いタイプかもしれません。
・テニス仲間でワイワイ
・スポーツジム仲間でワイワイ
・趣味のサークルでワイワイ
・ボランティア活動
・町内会活動に命をかけるタイプ
何であれ、没頭できるものがあればよいですが、ただ気を付けないといけないのは、人に言われたから、とか、義務感で参加するのは止めたほうが良いでしょう。
定年本が推奨するから、などというのはもってのほか。
定年後なのですから自由に行きましょう。
親の介護、自分の病気で「ぼっち」を楽しむどころではない
親の介護、自分の病気で「ぼっち」を感じる暇もない、ということもあるかもしれません。
私自身は介護問題や自分の病気もいまのところは無いので、直接事として感じることがないのが実情です。
難しい問題ですが、現実問題として向き合うしかないように思います。
介護など良く言われることですが、限界まで我慢しない、多少は手抜きの方法を考える、ということでしょうか。
他人事で大変恐縮ですが、そういう状況をある意味楽しめるようになれれば素晴らしいなぁと思います。
私はとてもなれそうにありませんが。
定年本などではほとんどこのようなことに関する記述を見たことがありませんが、どのように考えているんでしょうかね。
「ひとりぼっち」の楽しみ方はいくらでもある
定年後はそれぞれ過ごされていると思いますが、定年後の「ひとりぼっち」は問題だ!と言わせないためにはどうしたら良いかを考えてみました。
これらはあくまで一例であり、各自でそれぞれやり易いものに取り組んでみることが面白いと思います。
「ひとりぼっち」問題は、いろいろ言われていることが問題ではなく、ご自身が煽りを気にして悩んでしまうことが問題だと思っています。
「ひとりぼっち」で何が悪い!と開き直る
要は「心の持ちよう」ではないでしょうか。
「ひとりぼっち」は決して悪いことではなく、世間的にバッシングを受ける類のものではありません。
図書館通いやショッピングセンター通いがいけないのでしょうか?
トラブルを起こせば別ですが、普通に使っているのなら何も問題はありません。お互いマナーを守って気持ちよく使いたいですね。
例えば、毎日毎日図書館に通うというのは目立ちますし、トラブルの原因にもなりやすいかも知れません。そこで、自宅や図書館、カフェ、ショッピングセンターなどを曜日でローテーションさせるとかすれば、気分転換にもなりますし、それほど迷惑をかけることもありません。
行く場所によってやることを決めておけば、それなりに楽しめるのではないでしょうか。
やることを決めて達成感を味わう
行く場所が決まってもやることが無ければ暇です。
でも、それって本当に暇なのでしょうか?やりたいことがわかっていないだけということはありませんか?
死ぬときになって「あれをやっておけばよかった!」なんてことにはなりたくないものです。
そこで、人生でのやりたいこと100選を作る、ということがあります。
これを実行する年代別にまとめたものが「タイムバケット」です。
タイムバケットを見ながらスケジュールを立てれば、少なくとも定年後の時間を充実させることができるというものです。
タイムバケットについては以下の記事を参考にしてください。
SNSやBlog、YouTubeを楽しんでみる
SNSは世界最強の時間を浪費するツールです。
Twitter、Facebook、Instagram、などなど。どれも見始めたらあっという間に1時間くらい経ってしまいます。 これが自分で発信もしていたらどれだけ時間があっても足りないくらいでしょう。
また、自分でブログやYouTubeで発信するのも自己表現の方法として有益でしょう。今まで蓄積した経験やノウハウを世の中に残すというのは重要なことだと思います。学会等の論文を書くのは億劫ですが、ブログで発信するのであれば気が楽です。
これら世界へ向けての発信が、お手軽にほとんど無料でできてしまうということは大変なことですね。
おすすめSNS、ブログ作成(WordPress)、YouTubeについては以下の記事を参考にしてください。
バックパッカー、ロングステイをしてみる
老い先短い人生ですから、人生の最後にあちこち物見遊山するのもおつな物ではないでしょうか?(もちろんコロナ禍が終息してから)
国内でも行きたいところは沢山あるはずです。また、海外へ目を向ければ、見たことも聞いたこともない所ばかりです。
体力のあるうちに、行けるときに行っておくのが定年後の鉄則でしょう。
お金があれば海外ロングステイ。お金が多少不安ならばバックパッカーでもいいじゃないですか。
まずは外に出てみることが大事かと思います。
人生の最後に残るものは「モノ」ではなく「体験」だということらしいです。
最後は体験を抱きしめて、お金ゼロであの世に行きたいものです。
まとめ
さて皆さん、いかがでしたか?
「【心配ない!】定年後のひとりぼっちを悩むのはもう止めよう!」をご紹介しました。これから日々の”ぼっち”生活を送る上での参考になったでしょうか。
別に「ひとりぼっち」は悪いことではないのです。マスコミや一部の定年本が、「定年後のひとりぼっちはよくない!」と煽っているだけです。
具体的に見てみれば、「ひとりぼっち」が悪いのではなく、他人(含む妻)に迷惑をかけているとか、自分の健康に配慮しないとか、当の本人がつまらないと常にぐちってる、など一部を除けば別に取り上げるほどの話題ではありません。
何が問題だというのでしょうか?
結局、世間の同調圧力(この場合は、外で働け)を気にせず、やりたいように過ごせば宜しいのではないでしょうか。
もう定年したのですから。
最後に、ひとりで楽しめる「ぼっち趣味」をご紹介して終わりにしたいと思います。
では、明るく、楽しく、前向きに、毎日をお過ごしください。
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