・お悩み
定年後、遊ぶ友人がいない。元の会社の人間は知らんふりだし、かといって新しいグループに入って友人を作っていくのも気が重い。どうしたら良いだろうか?
はい、定年後に友人が減るのは仕方の無いことです。
実はそれだけの付き合いだったのですから、逆にさっぱりして良いのではないでしょうか。
では、どうしたらよいか考えていきましょう。
定年後は知り合い・友人が減るという事実
老後不安で最も深刻なのは孤独?
老後の不安のうち最も深刻なのが「孤独」だ、との主張があります。
そのため、定年後、孤独に陥らないようにするためには人とのつながり、すなわち友人の存在が極めて重要だということだそうです。
これが本当かどうかはさておき、定年退職後にLINEグループやFacebookなどで、なんかの拍子にやり取りできるとか、たまには示し合わせて飲みに行ける人が誰もいなかったら確かに寂しいと思います。
たぶん、我々よりちょっと上の世代の問題が大きいのかなあ、という気もしないでもないですが。
会社関係者は去っていく
確かに定年退職した後、ほとんどの会社関係者とはきれいさっぱり疎遠になりました。
(※私は定年前にみなし定年で退職しました)
退職のあいさつに返事をしてくれた人は何人いただしょうか?
もちろん、送別会を開いてくれた暖かい人たちもいました。ありがたいことです。
ほとんどの人は、会社を辞める人間には皆冷たい?ものです。会社であれほど一緒に仕事をした人たちなのに、メールの一つもくれません。まあ、それくらいにしか思われていなかったのですよ。というか、それだけ仕事の余裕がないということなのかも知れませんが。
辞めてわかるその人の本心。
もちろん、取引先の人とかは、権限がなくなるとともに連絡がピタッとなくなるので、ある意味分かりやすいですけど。
知人と友人の違いとは?
ところで、孤独に陥らないために必要と言われる「友人」と、「知人」の違いはなんなのでしょうか?
ある人によれば、「知り合いではあるけれど、それほど深いお付き合いをしていないなら知人、お互いのことを理解し、思いやれるのが友人。」
まあ、確かにそうでしょう。そういう意味では、私の場合ほとんどの付き合いは知人ですね。
この歳で「友人」がいないと孤独に陥るのでしょうか?
よくわかりません。
なぜ友人が欲しいのか?また、友人は作れるのか?
どんな友人が欲しいのか?
私にはどうもわかりません。
お互いのことを理解し、思いやれる友人なんて、定年後に出来る可能性は低いと思うのですが(ネガティブ?)。
学生時代ならいざ知らず、この歳にもなると経験の違いや背負っているものの違い、各人のプライドなどもあり、深くまでお互いを理解するのは簡単なことではないと思います。
そんな深いお付き合いをするということは、自分や自分の家の内情も共有するということでしょか?
そんなことはまず無理でしょう。相手への遠慮もありますし、私的なことに他人を巻き込みたくないと考えるのが普通ではないでしょうか。
そういう意味で、定年後の「孤独」に陥らなくするてめに友人(知人ではない)が重要、との主張にはちょっと疑問を持たざるを得ません。
これから友人は作れるのか?
また、定年後に友人がすでにいればよいですが、いない場合は友人を作れるのでしょうか?
もちろん、努力すれば友人を作ることは可能でしょうし、作れるものであれば作ったほうが良いと思います。
では具体的にどうすれば作れる可能性があるでしょうか?
・学生時代の友人との復活
一番手っ取り早いのが、学生時代の友人と旧友を深めることでしょう。
現役時代はなかなか参加できなかった同窓会やサークルの集まりにも、定年を過ぎるあたりから時間に余裕もできるので参加することができるようになります。
このときにライングループなどを作ってそれ以降も付き合いを復活させることもあるでしょう。
こういう関係を発展させて、定期的な飲み仲間になることは可能かもしれません、
ただ、さすがに学生時代とはちょっと何かが違うことは否めません。昔のように腹の底から分かち合えるような仲にはなかなかいかないかな、ということもあります。
・新しいコミュニティで知り合う
地域社会や新しく参加した趣味のサークル、フィットネスクラブなど、いろいろな機会に親交を深めることも可能かもしれません。場合によっては、すごく気の合う仲間になれることだってあるかもしれません。
ただ、今まで会社一筋で来た我々にとって、新しい組織に新参者として入れてもらい、馴染んでいくというのはなかなか大変です。
ましてやその中で新しい友人を作るというのは簡単でないかもしれません。同じようなバックグラウンドを持った人たちがいれば、可能性は高いかも知れませんね。
私はセブという狭い地域で、とりあえず知り合いレベルを増やしている感じでしょうか。
友人ゼロで何が問題なのか?
友人がいないと孤独なのか?
ほんとうに定年後は「孤独」が問題なのでしょうか?友人と呼べる人がいないと、精神的に病んでしまうのでしょうか。
確かに友人と呼べる人がいれば、何かあった時に相談できるとか、心置きなく話ができるなど、たぶんとても良い面があることは否定できないでしょう。
でも、友人がゼロで問題になることはあるのでしょうか?何が問題なのでしょうか?老人の孤独の問題を「友人ががいないこと」にすり替えていないでしょうか?
逆に、「友人」がいれば「老人の孤独問題」というものが全て解決されるのでしょうか?
ここでいう友人というものがどうのようなものかが問題なのですが。
問題の本質は「孤独」より「居場所」?
・孤独が問題なのか?
私は「孤独」というより、「居場所」の問題ではないかと思うのです。
人とのつながり以上に、自分が一時でも案楽に過ごせる場所を欲しているのではないかと思っています。もともと、自分の個人的な問題を話すことなんか、この歳では身内以外は難しいと思います。
例えば、「引きこもり」は周りから見れば孤独ですが、自分の好きな事に没頭しているので、孤独は感じていないのではないでしょうか。むしろ、ネット世界で繋がっていて全然孤独ではないかもしれません。
つまり、孤独老人問題の本質は、居場所問題であり、その人の居場所さえあれば孤独はあまり問題にならないのではないかと思います。
・居場所ならいくらでも作れる
「友人」を作るのは簡単ではありませんが、居場所を作るのはそれほど難しいことではないと思います。
例えば、何かの仕事をする、没頭できる趣味を見つける、近所に行きつけのお店を作って馴染になる。フィットネスクラブだっていいじゃないですか。同じトレーナーの授業を取り続けると馴染みになって声をかけてもらえます。
はっきり言って、「友人をつくりなさい」というから敷居が高いのであって、「自分の居場所を見つけよう」と言えばよいのではないでしょうか。
無責任な評論家は言いたいことを言います。ましてや定年年齢になってない人が、定年後のことを語るのは如何なものかと思います。
いまさら、なんでも相談できる友人なんて簡単にはできないよ、というのが本音ではないでしょうか。
※居場所については以下の記事もご参照ください。
まとめ
さて皆さん、いかがでしたか?
「【寂しい!】定年後、友人がいない。どうする?」をご紹介しました。これから日々の生活を送る上での参考になったでしょうか。
結局、「定年後の友人問題」も煽りに近いのかな思います。
ここでも、「友人は持つべき、作るべき」というという、べき論が先行しているように思えてなりません。いくら理想論を言っても仕方ないと思います。
この歳になると、家庭内や身内にいろいろな事情を抱えることになります。そんなディープなことはなかなか他人には相談できません。そういうものを心に秘めながら生きていかざるを得ないと思っています。
そういうときに、自分の居場所(小さくてもいい)があって、少しでも気晴らしになれば、落ち込むことなく生きていけるのではないかと思うのですが。
何が正解かわかりませんが、暗くならずに楽しく生きていきたいものです。
では、明るく、楽しく、前向きに、毎日をお過ごしください。
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